2023/03/10 16:42


収録「三途の川アウトレットパーク1巻」
小学校から高校までサッカー部で、静岡に生まれ育ったこともあり、ゴンと名波が好きだった。


ただサッカー自体は全然ダメで才能がなくて、

何よりチームスポーツというのが本当に苦手だった。自分がミスをしたらチーム全体に迷惑がかかるというのが本当にきつくて、終始、自分のミスを自分だけで背負えたらどんなに楽かと思っていた。


勝ち負けにも頓着なくて、

みんなが「よし、勝つぞ!」と気合をいれていても、いまいち乗り切れなくて、どちらかといえば一人でリフティングをしている時が1番好きだった。(今思うと当時のチームメイトに申し訳ない



そういう意味では今の仕事はよかったのかも。

一人で黙々と作業が出来るし、

面白くなければ自分の責任。

もし誰かに届けば心の底から何者でもない、肩書きのない個と個で繋がれる。


勝ち負けというのもあまりない世界というか、どちらかといえば自分との闘いなので、やることはとにかく自分の納得いくものを仕上げること、

自分の作品を指差されて「これはどう?」と聞かれた時、「とてもいいものだと思いますよ。一生懸命描きました。」と言えるよう努力すること。


あとのことは自分の裁量じゃどうしようもない要素が大きい気がするので、考えても仕方ないのかな、という気がしている。


幸いなことに、そうして今仕事として漫画を描けるようになるまで、たぶん全ての創作者がそうであるように自分もたくさんの先人の遺産に影響を受けてきた。漫画、音楽、映画、小説…

名作からそうでないものまで、あらゆるジャンルのもの。


そして、その読んだもの、見たものの中で、

それこそたぶんここで名前を出したところでほとんどの人が知らないようなものもたくさんあって、

たぶん今はもう創作活動をやめていたり、

(検索しても出てこないので少なくとも表には出ていない。自分自身、作者名やタイトルすら思い出せないものも多々


それでもそこから影響を受けていたり、自分の創作の一部には確実になっていて、それらのどれが欠けていても、今まで描いてきた作品は描けなかったと思う。


その本人からしたら、

創作で何かを成し遂げたとは思っていないかもしれないけど、それに少なからず影響を受けて、1人の子供が今漫画家になっているということは確かで、

それはシンプルに凄いことだと思う。


引いた話をすると、

自分も漫画を描く中で

ここまで続いてきた歴史の大きな流れの一滴になれれば本望なのかもな、と。正直自分の才能程度じゃほんのわずかな一滴すぎるかもしれないけど。

仮にこの漫画が大して人の心に届くこともなく

とてもじゃないけど、何かを成し遂げたと言えるような作品にならなかったとしても、これを読んだ誰かがこの作品から少しでも何かを受け取って(良い感情でも悪い感情でも)歴史に残る作品を世に残したとすれば、それは自分もその一端を担えたことになるのかも、と。


もっと言えば、歴史を変えるような大仰なことじゃなくても、例えば、誰か1人でも明日のご飯が少し美味しくなったり、ほんのちょっと生きるのが楽になったり、誰かの人生にほんの少しでも影響を及ぼしその誰かが世界を回していけば、それだけで自分が描いた意味はあるのかも、と。


そして、それはここまで芸術の遺産を繋いできた先人がいたから辿り着けたことなんだろうな、と。


それを受けた誰かが、

また何かを創り出して誰かを楽にして

そういうサイクルの中に自分もいると考えると、

心なしか今描いているものにも意味があるような気がしてくる。(そう言う意味ではこの世に無駄な創作物なんかないのかも



そんなことを薄ぼんやりとずっと考えていて、


例えシュートを決めるのが誰であれ、

その前にパスをしたり、パスのパスをしたり、

サポーターであったり、色んな目に見えない力であったりスポーツもきっとそういったものが作用しているように、

創作も、そして創作に限らずこの世界も、

生きていくという考えの中で循環して

そういった連鎖で色んな物事が成り立っているのかもな、と、そんなことをふとたまに思う。


まあ、色々書いたけど、

もしかしたら今自分がしていることをそう思い込むことで何かしら肯定したいだけなのかも。