2023/03/10 16:40

収録「黒猫は泣かない。新装版」

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たしかくろいりんごと同時期、18.19の頃に描いた話。


子供時代、家にも学校にも居場所がなく毎日が地獄で、ただ、自分は山田くんと違ってとても弱かったので毎日のように泣いていた。本当に毎日泣かない日がなくて。

それでもあまりにしんどすぎて、
ある時、「感情を殺してしまえば楽になるのではないか?」と思い、2週間ほど自分を感情のないロボットと思い込み生活してみた。

ちょっとだけ楽になり、泣く回数が減った。

ただそれと同時に、何か心の中でとても大切なものを失っていってるような気がして、でもそれには気づかないふりをして日々を過ごしていると、
ある日、前の席の女の子が何を思ったか、

「大丈夫?」
と心配そうに優しく顔を覗き込んできた。
「やばい
と思い周りにバレないよう我慢して唯一1人になれる帰り道に辿り着いたとき、そこで一気に涙が溢れた。堰き止められたダムが溢れ出すように。

人間というのは嬉しくても泣くことがあるし、辛くても笑うことがある。


そんな当たり前のことにその時初めて気がつき、

それはきっと精神衛生上あまりよくないことかもしれないけど、でもまだその感情の発露があるうちはいいと思う。それが人間だから。


一番問題なのは、全ての感情というものを失ってしまったとき。心と呼んでいいのかもしれないけど、
それを失ってしまったとき、人は人でなくなってしまうのではないのかな、と思う。

痛いのはやだし、辛いのも悲しいのもやだけど、
でもそれがなくなると、人に優しくされて温かいと思うところや、嬉しいと思う気持ちも同時になくしてしまう。だとしたらそっちの方が嫌かもな、と。
今はまだそう思えてる。


またこれはエレクトピアにも通ずるけど、
そうして人間性が欠落し機械的になるほど、思考は停止しシステムの一部となっていく。そして、その先にあるのはアウシュビッツのようなものではないかと思っています。
ユミはそれになりかけていたのではないかと。


そして、そういった時にリバウンドのように顔を出す無意識化の「何か」が最も人として尊いものであり、何より恐ろしいものなのかもなと。


抑えつけていた分、そこで顔を出す何かは、残酷で、誠実で、何気なく放った無意識下のその一言や行動が、人を救いもするし、殺しもする。


ユミは理由のない無意識下の一言により山田くんを生かし、そして殺すことになる。
その何気ない無意識下の「何か」の中にこそ、人間の本質が含まれているのかも、とそんなことを思った。

きっと世の中にはごく一部を除いて、絶対的な善人もいなければ、悪人もいなくて、

「恐ろしく冷たい自分」も

「恐ろしく温かい自分」も

どっちもいて、それは自分の中に背中合わせで同居しているものなんだと思います。


忘れた頃に顔を出したりして、

いつだってこの手が人を生かしもするし殺しもするかもしれない。

きっと誰にでもあって、別に誰かを断罪したいとか賞賛したいとか、そんなんじゃなく、ただそのことを忘れないようにしたいな、と。

それをいつでも思い出せるように描いた、弱い自分への戒めみたいな話。


明日は優しくあれるだろうか?強くいられるだろうか?いつでも道端の野良猫を見つけた時のような優しい気持ちでいられたらな、と。

なかなか難しいけど。